年賀状

年賀状を作るたびに毎年おもう。なくなればいいのに・・・。
かといってきたものを無視するほどの図太さを持たない私は、去年出してくれたひとにはせっせと書く。
今は遠くはなれて暮らす旧友との便りは苦ではない。苦なのは年明けてまたすぐ会う会社の人たちや友人だ。
そしてあったときには決まって「あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします」と年賀状と同じ言葉を口にする。
印刷だけの年賀状で一言のメッセージも入っていない年賀状を見ると心のそこから何のためのはがきなのだろう、郵便局を喜ばせるためのものなのかと悲しくなる。
元来私は手紙を書くことは好きだ。メールで送ればすぐ伝えられるようになった昨今でも、私は好んで手紙やはがきを出す。だからこそ年賀状が嫌いなのかもしれない。
何の心も入っていないはがきだから。
それに混じってエステや、クレジットカードからの年賀状が入っている。これは年賀状ではない、完全に広告である。
これは意図がはっきりしているから、そして自分の手間が増えることはないから嫌いではない。
祖母宛に介護付有料老人ホームからの年賀状が入っていたのには笑えた。年賀なのにちっともめでたい感じがしない。
それにしてもどこで祖母の名前を調べたのであろう。父か母、もしくは本人が見学に行ったのであろうか。
それとも年齢だけ調べて無造作に送られてくるものなのだろうか。なんだか薄ら寒い話だと気づいた。
あと不思議なのが結構な数の医者類からの年賀状だ。具合が悪かったり、歯の治療だったり、正常な状態でないから通うところから今年もよろしくといわれるのもなんだか縁起が悪い気がするのだが慣例なのか、患者さん集めなのか、毎年送られてくる。
「年賀状きてたし、よし、今年も行こう」とは誰もおもわないだろうのに。