ドッグフード
最近CMでおいしそうなドッグフードで13歳からのドッグフードという商品を知った。
我が家にも犬がいる。生まれたときからほとんどドッグフードや、ちょっと豪華なときはぺディグリーチャムなどの缶詰、歯を丈夫にするための硬い骨の形をしたカルシウム、などを食べている。
そして母が、13歳からのドッグフードを見て「あら、これいいわねぇ」と口づさんでいたので近いうちにこのドッグフード(ロイヤルカナン)を食することになるのだろう。
たしかにわたしも愛犬には長生きをしてほしいのでバランスの取れたドッグフードを与える事に異論を唱える気はない。
ただ人間の私からみるといささか味気ないのである。
毎日毎日同じものばかり食べている愛犬のうれしそうな顔を見ていると、知らないという事はそれ以上の可能性を失う事なのだなと思う一方、知らないという事は幸せなのだなともおもう。
万物にこの事は通じる。無知は幸せで、可能性の消失なのだ。
とりあえず遊んでくれるから自分が退屈してくると私のところによっては来るが、みんながいるとき時に一家団欒のときなどは私が呼んでも大儀そうに尻尾を振るだけで、私のことをチラッと見るだけなのだ。
犬はとても賢くて飼い主の家族に順位を付けて従順であるという。明らかに私は彼よりも下の順位なのだろう。
瞬時なのか時間を経てなのかは分からないが、確実に順位を付けていく彼をみていると、順位を付けるというのは生きていく上でとても自然な事なのだと気づく。人は人に順位を付ける事を嫌う。
特に自分が順位を付けられる事を嫌うが、無意識か口に出しはしないが確実に順位を付けているのだろうなあと思う。
口に出すか出さないかが重要なのか。